【終了】番外編 猪鼻洋助さんの話を聞く会

令和6年(2024)10月15日(火)午後2時から4時の2時間、猪鼻さん宅をお借りして、仲町の猪鼻さんに昭和30年代の日野宿や日野史談会についてお話を伺いました。今回は日野宿発見隊のメンバー6名と郷土資料館の職員2名と事務局1名、計9名が参加しました。昭和の日野宿を語れる先輩たちが少なくなっているだけに、貴重なお話を伺えた楽しいひとときでした。

▶昭和30年代の日野宿

猪鼻さんは昭和16年(1941)の生まれで、戦時中の昭和20年(1945)4月4日、下河原にあった自転車屋(昭和4年開業)が米軍機による空襲で焼失したため、一時期谷戸に仮住まいする一方、仲町にあった中島雑貨店の倉庫を借り受け営業を再開し、その後昭和22年(1947)に現在地に移ってきたそうです。それから90年近く地元に貢献されてきましたが、令和3年(2021)12月末をもって惜しまれつつ幕を閉じられました。

猪鼻さんが属する現在の町内会は仲町といいますが、もともとは上仲と下仲に分かれていたものを戦時中に統合して仲町となったそうです。

学校を出てからはお父さんと猪鼻輪業を営んでいましたが、家の隣が郵便局だったので、オートバイを使って電報の配達を行っていたそうです。届け先には旭が丘の巽聖歌宅などにも電報を届けていたそうです。*このことについては別の機会にヒヤリングが行われています。

昭和30年代の日野宿の様子について、煉瓦が敷かれていた歩道や中央線に架かっていた陸橋の話、また、露木鍛冶屋、山田屋、綿屋、中村文房具、棒屋、提灯屋、伊藤書店など懐かし商店名がいくつもあがり、活気に満ちた昭和の商店街の様子が浮かびあがりました。

史談会

昭和47年(1973)の創立で、猪鼻さんは若いころから旧日野史談会に参加され日野宿の歴史を学ばれていました。日野の渡船場についての論考を『日野の歴史と文化』に発表されています。造形の深い新選組や刀剣についての知識もこの史談会の活動を通して獲得されたようです。

質問

・玄関先に架かっている「要塞屋」の看板のいわれは? 
 →明治2年(1869)生まれの祖父が日清・日露戦争に従軍し、要塞を守っていたことからつけたそうです。

・今の図書館のところにあった有山家とは?
 →もともとは下町の有山家一族の有山重世さんのお宅があったが、その後、小金井市に転出され、屋敷の建具は大昌寺の茶室に再利用されている。